カナダと降下と着陸進入
1991年10月マドリードで中東和平会議開催。1993年9月13日調印、イスラエルとPLO、パレスチナ人の暫定自治の原則宣言に調印(オスロ協定*)成立。その結果1994年5月よりガザ・エリコ先行自治が開始され、自治政府も組織されはじめた。PLOのアラファト議長とイスラエルのラビン首相、ペレス外相がノーベル平和賞を受賞した。 1996年1月にパレスチナ評議会の選挙が行われた。 その矢先の1995年11月和平に尽力したイスラエルのラビン首相は和平反対派のユダヤ人青年イガール・アミルに射殺された。 イスラエルでは概ね労働党が「和平推進」(エルサレムとヨルダン川西岸の戦略的に重要な土地を併合)、リクードが「和平反対」(パレスチナ全土を併合)であった。
クウェート赤新月社 キルギスタン赤十字社 ラオス赤十字社
1889年:B・ハリソン 1893年:クリーブランド 1897年:マッキンリー
初代のアシュケナージ・タルムードのユダヤ系ドイツ人であるマイアー・アムシェル・ロートシルト(1744-1812年)がドイツのフランクフルト・アム・マインで開いた古銭商・両替商に端を発し、ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世との結びつきで経営の基礎を築いた。ヨーロッパに支店網を築き、彼の5人の息子がフランクフルト・ロンドン・パリ・ウィーン・ナポリの各支店を担当、相互に助け合いながら現在のロスチャイルドの基盤を築いた。特にロンドンのネイサン(1777-1836年)とパリのジェームスが成功を収めた。ネイサンはナポレオンが欧州を席巻する中で金融取引で活躍し、各国に戦争の資金を融通した。また、ワーテルローの戦いでナポレオン敗退の報をいち早く知ると、株取引で巨額の利益を得た。一方、ジェームスは当時の成長産業だった鉄道に着目し、パリ〜ブリュッセル間の北東鉄道を基盤に事業を拡大していった。パリのロスチャイルドは、1870年に資金難にあえぐヴァティカンに資金援助を行うなどして取り入り、その後ロスチャイルド銀行は、ロスチャイルドの肝いりで設立されたヴァティカン銀行(正式名称は「宗教活動協会」、Instituto per le Opere di Religioni/IOR)の投資業務と資金管理を行う主力行となっている。