アラブとユダヤの対立と中華人民共和国との関係

ブッシュにはKaren Hughes、John Allbaugh、カール・ローブといった選挙参謀がついた。ブッシュの選挙運動に対して、リチャーズへのアンフェアな中傷であるとする批判も上がった。しかし公開討論での効果的な弁舌により、ブッシュの人気は上昇した。結果、11月8日の選挙において、52%対47%の得票率で当選した[44]。知事としてブッシュは、首尾良く不法行為改革のための法律を支援し、教育資金の支出を増やして学校の教育水準を上げ、刑事制度改革を行った。ブッシュは152人の死刑を執行させたが、これはアメリカにおいて一人の州知事が執行させた死刑数としては最高記録である[45]。ブッシュは20億ドルの歳入超過を減税に回したが、これはテキサス州における減税額の最高記録である。この減税により、ブッシュは企業活動を擁護する経済右派としての評価を確立した[44]。ブッシュはまた教会などの宗教組織による教育、アルコール・薬物依存症対策、家庭内暴力対策活動への政府支出を行った。ブッシュは6月10日をテキサス州の「イエス(・キリスト)の日」と定め、この日には「支援を必要とする人々への奉仕をテキサス州民に要請する」とした[46]。

現職アメリカ合衆国大統領にノーベル平和賞が授けられるのは、1906年に第26代アメリカ合衆国大統領に在任していたセオドア・ルーズベルト、1919年に第28代アメリカ合衆国大統領に就任していたウッドロー・ウィルソンに続いて3人目である。またアメリカ合衆国大統領経験者の受賞は2002年のジミー・カーター以来である。T・ルーズベルトは日露戦争の講和、ウィルソンは第一次世界大戦の講和における努力の成果を評価されての受賞であったが、オバマは未だはっきりした成果をあげておらず、受賞に関して「時期尚早」との意見が強く世論は内外で賛否が分かれた。日本の鳩山首相や秋葉広島市長は受賞を評価した。一方、ロシアは奇異と評し、アフガニスタンではターリバーンが「2万人以上の増派を行い、戦火を拡大させたオバマが平和賞を受賞するのは馬鹿げている」と批判した[98]。イスラエルは自国への支援の削減を危惧した。オバマ支持層の民主党系やリベラル派からも批判や当惑が噴出している。リベラル派の女性コラムニスト、ルース・マーカス記者は「この授章はバカげている、オバマはまだなにも達成していない」と書き、民主党系外交コラムニスト、ジム・ホーグランド氏もオバマが中国の機嫌を損ねないようにダライ・ラマ14世との会談を避けたことも、平和賞にそぐわないと批判し、トーマス・フリードマン記者は「ノーベル賞委員会は早まって平和賞を与えることでオバマ大統領に害を及ぼした」と書き、「世界で最も重要な賞が、このように価値を落とすことには落胆した」と述べた[99]。

1948年5月14日、イスラエルが独立を宣言すると、これに反対する周辺アラブ諸国(エジプト、サウジアラビア、イラク、トランスヨルダン、シリア、レバノン、その他パレスチナのアラブ人部隊など)がパレスチナへ進軍した。アラブ側の兵力は約15万以上、イスラエル側の兵力は3万弱といわれている。数で優勢なアラブ連合軍はイスラエルを包囲する形で進軍したが、各国間の不信感から連携がうまくいかず兵士の士気も低かった。緒戦はその物的優位によりアラブ連合軍が善戦する。しかし、二度の休戦期間の間に、イスラエル軍は部隊を強化することに成功した。アラブ諸国の足並みの乱れもあり、ヨルダン方面を除き、戦況は次第にイスラエル優位になった。そして、イスラエル優位のまま1949年6月、双方が国連の停戦勧告を受け入れた。イスラエルでは、この戦争を独立戦争と呼ぶ。この戦争によって、イスラエルの領土は、国連による分割決議以上の範囲が確保された。1956年にエジプトで、イギリス・アメリカによるアスワン・ハイ・ダムの建設が中止になったため、当時のエジプト大統領ナセルは7月、対抗手段としてスエズ運河の国有化を発表した。スエズ運河運営会社の株主でもあり、石油を含む貿易ルートとして、スエズ運河を利用するイギリス・フランス両国はこれに反発した。そのため、10月、イスラエルを支援してエジプトとの戦争を煽動し、自らは仲裁の名目で介入した。戦争は10月29日、イスラエルによるシナイ半島侵攻により開始された。空挺部隊・戦車部隊を活用した攻撃により、エジプト軍は総崩れとなり、シナイ半島の大半は、イスラエル軍が占領することとなった。イスラエル軍が進撃中の、11月5日イギリス・フランスも軍事介入し、スエズ運河地帯に上陸した。しかし、この攻撃にはエジプトを支援してきたソ連はもちろん、イギリス・フランスが支持を期待していたアメリカも含めて国際的な非難が沸き起こり、11月6日に国連の停戦決議を受け入れることとなった。これがPKOの起源である。12月になり、国連の調停により、英仏両国はエジプトによるスエズ運河国有化を受け入れた。

ガザ市の人権団体、パレスチナ人権センターは3月19日、パレスチナ側の総死者数は1417人に上ったと発表し、全員の氏名を公開した。それによると926人が民間人でうち313人が18歳未満の子ども、116人が女性。戦闘員が236人、警察官が255人だった[43]。一方、イスラエル軍は3月26日、パレスチナ側の死者は1166名で、709人がハマースなどの戦闘員であると発表した(イスラエルは警察官も戦闘員と見なしている)。民間人は295人、うち89人が16歳未満、49人が女性で、残る162人は特定できていないとしている[44]。ハマースの使用したアサルトライフルやロケット弾が中華人民共和国製であることが確認されている[45][46]。よって、中国が第三国経由で武器・弾薬を横流しした疑惑が持たれている。ただ当の中国政府は武器を売却している事は否定している。

戻る